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劇場前売券@涼宮ハルヒの消失 公開すぐだと、早めにチケットを取りにいかないといけないので、チケット交換しに行くのと観賞日とで交通費が2回かかるので、前売りを買っていても総出費額としては上になる罠。途中駅ならまだいいんだけど。

 そんなわけで見てきましたハルヒ映画。なんかほんのり話題になっていたらしい海老名で。途中でトイレに行った人は2人、スタッフロール中に出てっちゃったのは1組。おおむねよいマナーでした。かく言う私もほんのり腹痛と戦いながらの160分でした…。耐え切れてよかった。

 画像は入場者特典を何もくれなかったので、前売り券の画像で。メモ帳がもらえたらしいのはどこなんだろう…。

 “涼宮ハルヒ”ではあったけど、“映画”であったかは少し疑問が残る作品であった。

 1話30分のテレビシリーズではなく、160分で1本の作品としてある意味はあると思ったけど、劇場のスクリーンと音響を使う必然性はそんなにはなかったんじゃないかと感じた。これは、1話がたまたま160分になってしまった、「涼宮ハルヒの憂鬱『涼宮ハルヒの消失』」であると思う。涼宮ハルヒの憂鬱の話を映画館で見た、だが涼宮ハルヒの憂鬱の映画を見たわけではない、…そんな印象。

 映画の内容的にもこれまでのTVシリーズをふまえての話で、TVシリーズの再構成(なのは)でも、TVシリーズの新解釈(Fate)でもなく、ただ昨年終了したTVシリーズの“続き”である。「続きは映画館で!」っぽく宣伝しつつも、全く“続き”じゃない作品も多いので、良心的と言えば良心的だけど。

 去年やってたTVシリーズの再構成再放送も“壮大な映画の前フリ”と見られていましたが、結論からいうと、去年の再構成は、「笹の葉ラプソディ」を放送したかっただけとも言えるような。「消失」を作るにあたり、重要な伏線となる「笹の葉~」をやっていないのはあまりに問題だが、「笹の葉~」だけやるのも難しいので再放送形式にした。だけど再放送を1クールでやろうとすると、もともと14話もあった前シリーズに割り込めないので、2クールの枠を取った。2クールもあると、今度は話が1クール分弱足りなくなる。しかも作りすぎるとTVシリーズ内で「消失」に突入してしまう。その事態を避けるためにエンドレスエイトは8話存在する必要があった。 原作つきではよくある時間稼ぎの技のひとつとも言えますな。現行のアニメでもBLEACH、NARUTO、リボーンあたりが厳しそうでなー。

 再放送ターンでやりたかったのは「笹の葉ラプソディ」の「消失」への伏線。「笹の葉ラプソディ」のDVDの宣伝で「ジョン・スミス」のところを繰り返し流していたのも、視聴者にその名前をすり込むためだったと言えるかと。

 んで、他の回は、「消失」へと繋がる「長門有希の憂鬱」を描くために割かれていたといってもいいのではないかと。思い出してみれば「エンドレスエイト」でキョンが「退屈そうな長門」というシーンは必ず含まれており、我々が向こうの1週間ちょっとをたった30分で見つつ、それをたったの8回見たぐらいで感じていた苛立ちが、何万倍も彼女に降り注いでいたことは少しは想像することができる。もうひとつの追加エピソード「涼宮ハルヒの溜息」でも、次々と巻き起こる超常現象を収拾していたのはおおむね長門であるわけで。

 これは前シリーズに「笹の葉ラプソディ」を追加するだけでは足りなかった、長門について思わせておく伏線描写であったようで。やはり、これらはすべて「涼宮ハルヒの消失」に繋がる“壮大な伏線”だったということでいい様子。エンドレスエイトを最初と最後だけ見たり、再放送をちゃんと見てなかったりすると、この「消失」の味わいは変わってきそうな気がする。

 冒頭で「1話30分のテレビシリーズではなく、160分で1本の作品としてある意味はある」と書いたけど、作り的にはTVシリーズとあんまり変わらないけど、この話は1話30分で分けて何週かで見るのと、まとめて160分で見るのとでは見え方がだいぶ違うのではないかと思う。区切りとして切ってよさげな場所は確かにあるんだけど、話の最初の方で張った伏線を、気持ちが切れない状態のまま、最後の方で回収されていくのはだいぶ気持ちのいいことでした。

 あとはネタバレしないと書けないかな。

 キョンは「感情」って言ってたけど、長門のアレは「感情」というよりは「愛情」…いや「恋心」だよなぁ。「人間」になった長門が見せた感情表現、「人間:長門」に植え付けたキョンとの記憶…それは人間じゃなかった頃の長門からの「もっと私を(女の子として)見て欲しい」という感情の表れではないかと思えるワケで。他のSOS団のメンバーには残さなかった「キョンとの記憶」…それは自分だけがキョンと特別な関係であるということ。緊急離脱プログラムのヒントはすべて長門との思い出の場所に。長門からの「もっと私を見て欲しい」という感情であふれているように思えます。

 「人間:長門」はメガネをかけた状態に戻っている。メガネを外すに至った記憶がないんだから当然だ…と思えるかも知れないが、そうではない。長門は事態を引き起こす前に、メガネをかけた状態で現場に来ているんだ。偉い人は言った、「メガネは心の壁である」と。キョンに心を開いていない状態に戻る…という意志でもあるかも知れないけど、ここは「もう一度キョンに心を開かせてほしかった」と取る方が美しいかな。

 長門はキョンが十中八九 元の世界を選ぶとわかっていたのではないだろうか。「選ばせる」という行為自体に意味があっただけで、消える平凡世界への未練は全くない状態で、Enterが押されるとわかっていた。何だかちょっと「フラれるのがわかっていて告白した」というのと似てるな。「その気持ちは嬉しいけど、他に気になる娘がいるんだ」という意味にも思えるEnter押し。

 物語としてはここで終わっていて、残りはフラグ処理の話だったかな。つじつま合わせが好きだとこっちはこっちでいいんだけど。

 何か宙ぶらりんだったのは、前売券の絵にある長門マフラー。最後にキョンからマフラーをプレゼントされる長門が見たかったような気もする。朝倉さんとマフラーの話してたし、どこかで絡んでくると思ったんだけどなぁ。


 まぁいろいろ書いたけど、ぶっちゃけ長門萌えに尽きる作品というのには激しく同意。あの長門を見て、一瞬たりともまともにときめかないキョン君はどうかと思う。つか、メガネはあったほうがいい。

 あとハルヒさんがハルヒさんらしい言動や行動を取ると、何だかすごく幸せな気分になる自分を再発見した。「だってその方がおもしろいじゃない!」が別バージョンで聞けただけでだいぶ満足。ハルヒさんほどの行動力はないけど、自分にも近い考えはあるので、「そう、そう、そうだよね」とか心の中で共感した。出番が少ないとか言われていたけど、存在感としては十分でしたよ。少なくとも朝比奈さんや古泉よりかは印象に残っている。彼女が画面の中にいるだけで何か安心する。能力なんてなくても、彼女に任せてしまえばすべてが何とかなる気がする。世界をおもしろくしてくれる気がする。「涼宮ハルヒ」という存在がどういうものか、能力を失うことで、より鮮明に見えてきた気もしました。いや、正確には「涼宮ハルヒ with キョン」なんだよね。

 結論としては、160分耐える自信があるなら映画館観賞でもいいけど、BD待ちでもいいような気がします ってことで。パンフ以外のグッズも全然なかったもんなー。映画にする気がなさそうというか。

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 ルパンテレビスペシャルを見たら、こっちも平野綾でした…。何だかなぁ。

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