あにめ感想にっきV3
手キャプつきアニメ感想やアニメ映画感想ブログ
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 タイトル変わっても主題歌も絵も変わらないってのはなかなか珍しい。
星村眞姫那@屍姫 玄
 OPより。塗りも線もてきとーなので、拡大画像は出しません。エントリータイトルにサブタイがないのは、特にこれといって「各話の」感想を書く気がないので。

 というか赫の頃から書きたかったのだけど、何か時期を逃しすぎたのと描いてる書いてるヒマがなかったことと。みのりんついでに手キャプしたので、せっかくなのでその辺の話。

 前にも一瞬触れたけど、光希桃的には意外と楽しみな作品のひとつ。とは言っても赫の2話ぐらいまでは、ご多分に漏れずあまりの棒っぷりにくじけそうでしたが。

 棒というのは、「棒読み」―セリフに抑揚がなく感情が乗らない―というもので、アニメ界ではこれといって珍しいものではなく、新人声優や声優素人(役者とかアイドルとか)の起用によりよく聞くことができます。これはこれで意外と味があって、「懸命にやっていることはわかるんだけど、その気持ちが声に乗ってない」という、プロじゃないからこそ出てくる演技として価値を見いだせるものになっていることもあります。あとテレビシリーズとかでの起用だと、回を追うごとにキャラとともに演技が成長していく様が楽しめるというメリットもあります。

 でもそういう「棒」は主役級なら1作品で1人、何とか我慢しても2人までが限界、それ以上はちょい役での採用ぐらいまでにしていただけないと、棒の棒っぷりばかりが際立ってしまって、内容がどこかに行ってしまうと思うのです。温かい目で見られるのは1人か2人ぐらいまでだよ。

 そう思っている中、屍姫では“出てくる主要キャラがどこまでも棒”という暴挙に出ているワケです。しかも回をどれだけ重ねても棒は棒のままで、いわゆる成長が見られません。棒が棒のまま放置され、その棒が何本にも増えていく…。素直に受け取ると 何 じ ゃ こ り ゃ ですよね。予算の都合かキャスティングミスかそんなことはわからないけど、少なくとも こ れ は ダ メ だ と思うには十分な材料です。自分も赫の2話3話ぐらいまではそう思ってました。

 でも光希桃は多量見さんなので、ダメだと思いながら見続けるのはつらすぎるので、そこで考えを止めずにもう少し考えてみるのでした。この多量棒起用は意図的…つまり”演出”ではないかという前提で。「なぜ棒なのか」ではなく「なぜ棒である必要があるのか」「棒の意味は何なのか」と。

 そう考えてみると、屍姫のキャスティングには違和感が出てくる。棒なのは主役の男子と、同年代の女子だけで、それらを除くとその棒キャスティングされているメンツと入れ替えても違和感のない声優陣がいる。予算がなくて主役連中がぴちぴちボイスになった某作品とは違い、予算面の問題ではなさそうなことが見える。やはり意図的に棒を起用しているのだと。

 しばらく見ていると、棒≡屍姫(棒である者はすべからく屍姫である) ではないが、少なくとも 屍姫∈棒(屍姫ならばすべからく棒である)ということは見えてくる。程度の差はあるにせよ、屍姫になっている女子は棒に属していると見てよさそうだと。そしてここに棒の意味を解くヒントがありそう。

 屍姫というのは、屍―死者―なワケで、そこには生者との大きなへだたりがある。でも劇中で触れられているように、見た目に大きな差はなく、パッと見で違いがわからない。でも実際にそんな存在がいたら、生者とは違う何か違和感を感じる存在に見えるのではないだろうか。やけに色白とか、何か変な格好してるとかそういう見た目の特徴と共に、「声が棒」という特徴がつく、それが屍姫…そういうキャラ付けではないかと思うワケで。

 棒というのは、セリフに感情が乗らないこと、つまりセリフの内容とセリフまわしが噛みあわないことで、生者ならセリフにも乗ってくるはずの感情が乗せられない存在である…という意味の記号として「棒」ではないかと。

 一方、旺里くんは死体に対して気持ち悪さを感じない、変わった人として描かれています。上の論で言い換えれば「相手が棒でも気にならない」ということですね。こっち(視聴者)が気になって仕方がない棒を、何も気にすることなく受け入れることができる存在、それが旺里くん。というか棒を棒と認識できてない、棒に対してとても鈍感。

 だって旺里くんもかなりの棒だもの。…というのはあとあとの伏線になっていそう。

 じゃあ旺里くんは伏線としても、他の生者の棒は何なのかと考えてみると、これは「死に対しての近さ」を示すものではないかと。生と死の境界を見失いつつあると、それが棒になる。現世(生)に対するどーでもよさから、感情を表(現世)に出せなくなる、そんな状態なのではないかと。

 姫のつかない屍はそんなに棒じゃないという件も、現世への未練で屍になった彼らは、つまり「現世―生―」に留まりたい感情が強くて、現世側に感情が出ている―棒ではなくなる―という解釈で行け…るかな? 屍姫が棒なのは、光言宗の力でそういうものが抑制されているから、と。

 …といったことを念頭に置きつつ見てみると、通常の棒起用作品における「慣れた」という棒対応法ではなく、棒を棒として棒の持つ意味を感じながら作品に触れることで初めて見えてくるものがあると思えるようになりました。

 てか、そういう風に棒を使うのであれば、「棒じゃなかった女の子が死んじゃって屍姫になった結果棒になった」みたいな話を入れてくれればもっとわかりやすいのになぁ。普通の演技も棒演技もできる人じゃないとできないけど…棒を卒業した人って、もう棒に戻れないのかなぁ? 鈴木真仁あたりはまだできそうとか思ったり。

 では最後に、「屍姫は棒に慣れるものではなく、棒を感じるもの」 一度お試しあれ。

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 意外と長くなっちゃった…。何か過去のエントリーを見てると、短めのときの方が反応(拍手)がいい気がするのは気のせい? 短文であっさり書いちゃうと「屍姫の棒は死を意味する記号だと思います」で終われる内容なんだよなこれ。ひとこと感想ならそれで終わらせちゃってた可能性大。それで伝わる人にだけ伝えるスタンスならそれでいいと思うけど。

 というか早々に誰か書いてくれるような内容じゃないかと思ってたんだけど、自分の見た限りではそういうこと書いてるところが見つけられなくて、ならまぁ一応書いておくか…とかそんなノリ。だからちょっとクドクド書いてしまった気。まぁ、読んだ方お疲れさまです。

 じゃ他の感想軽く。

 楽しみにしていた「はじめの一歩 New Challenger」はおおむね満足しているのだけれど、前シリーズで基本的に全部好きだった主題歌に対して、今回のはあまり乗れないのがひとつと、各話の“引き”にされるシーンがいまいち納得いかないのがひとつ。前シリーズは今回のような「いいところで終わる」ということはあまりなくて、「気持ちのいいところで終わる」ということの方が多かった記憶になっているのですが、今回のシリーズでは、観客なら一瞬で次のシーンが来るようなところで「次回へ続く」になってしまうのがどうにも気持ち悪い。「そんなところで引かなくても、ちゃんと来週見るからー」と言いたくて仕方がない。たぶん前シリーズであれば、ハートブレイクショットの行方がどうなったか見せてから、「続く」にするんじゃないかなぁ…とか思ってしまう。もっと30分ものとしての「各話の満足度」を意識して欲しいと思ってしまう。普通に考えれば当たり前の引きをしていると思えるのだけれどもね…。

 マリみてはOVAを揃えてから見る予定なので、TVシリーズは絶賛貯まり中。あとは1話までは何とか全部見た。その1話しか見てない唯一のMunto TVシリーズがこの先厳しいという話を目にして、どうしようか悩み中。tvkの土曜7時からやってるリトルプリンセスはどうしようかと悩みながら溜まりっぱなし。見ないで消しちゃってもいいと思うんだけどね…洋モノだし。

 あと新番ではないらしい作品をいくつか見てる。efはMXになってHVになったから再視聴中。そう聞いてたらtvkの額縁で見なかったのに。<「あらかじめわかってれば…、ポップコーンなんか腹いっぱい食べなかったのに」@のび太

 サブマリンスーパー99、FLAGは地上波初だよねぇ? まぁとりあえず初見だから見ている。BS11が映らないのでアキカン!が見られず学刈。ついでにVIPER'S CREEDがHVで見られない(アニマックスだとSD、4:3LB)。スレイヤーズは地上波に下りてこないのかしら…。

 まぁそんなところで。

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 前シリーズのDVD-BOXが最近に出てたことをこの前知った。宣伝してくれ…。
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